2017年日本史Bの個別情報

センター試験の日本史B(2017年)について1問ごとに問題文と解説の確認ができます。問題番号に「改」が含まれる問題はオリジナルからスマホ学習用に編集されています。

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問題文 / 解説
1第1問
問1改
空欄【ア】に入る語句として正しいものを一つ選べ。 今朝、船は【ア】に寄港しました。船からは、復元された天守閣や、寺院と教会が入り混じる風情ある町並みを望めます。江戸時代初めにオランダやイギリスの商館が置かれた地として習ったけれど、それ以前から大陸と往来する船が出入りしていました。
①平戸
②長崎
③下田
④大輪田泊

①〇 : 「江戸時代初めにオランダやイギリスの商館が置かれた」といえば平戸となります。1609年にオランダが平戸に商館、1613年にイギリスが平戸に商館を置きました。
②× : 1641年オランダ商館が平戸から長崎の出島に移されましたがイギリス商館はありません。長崎は、江戸幕府の鎖国政策として出島が築造され外国船入港を行っています。
③× : 下田はペリー来航によって開港した伊豆の港です。
④× : 大輪田泊、そして博多袖湊は安時代末期に平清盛が整備し日宋貿易の拠点となりました。
2第1問
問1改
空欄【イ】に入る語句として正しいものを一つ選べ。 船に乗っていると、夕方、進行方向に大きな島影が現れ、船員さんが韓国の済州(チェジュ)島だと教えてくれました。高麗王朝がモンゴルに服属したあとも、抵抗を続けた【イ】の拠点となった島です。
①接司
②三別抄
③妙清の乱
④元寇

①× : 按司とは、琉球諸島に存在した称号および位階の一つ。
②〇 : 済州島や江華島を拠点に元の高麗侵入に抵抗していたのは高麗の軍隊である三別抄です。これを三別抄の乱(1270-1273)とよび、元の日本侵略にたいして大きな障害になったといわれています。
③× : 妙清の乱とは、朝鮮、高麗時代に起った西京 (現平壌) の僧侶妙清 (のち浄心と改名) らによる反乱 (1135~36) 。
④× : 元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、モンゴル帝国・高麗王国によって2度(文永の役、弘安の役)にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。主に九州北部が戦場となった。
3第1問
問2改
原始・古代から近世の瀬戸内地方について述べた文として正しいものを一つ選べ。
①縄文時代には、魚群を見張るために高地性集落がつくられた。
②平安時代には、源経基が海賊らを率いて反乱を起こした。
③室町時代には、主要な港で幕府や寺社などが津料を徴収した。
④江戸時代には、堤を築いて潮の干満を利用する揚浜の塩田が普及した。

①× : 高地性集落は縄文時代ではなく弥生時代からである。
②× : 平安時代に海賊を率いて反乱を起こしたのは藤原純友。これを討ったのが源経基である。
③〇 :  ④× : 揚浜ではなく「入浜」。揚浜は海面より高いところにあって人力や機械で海水を引き入れる方式の塩田。
4第1問
問3改
『昔からいろいろな思いを胸に、海を渡る人たちがいました。』という文面に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを一つ選べ。 X 留学生として隋に渡った高向玄理は、帰国後に国博士に任じられた。 Y 中国から渡ってきた僧の隠元隆琦(隠元)によって、日本に黄檗宗が伝えられた。
①X 正  Y 正
②X 正  Y 誤
③X 誤  Y 正
④X 誤  Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
Xは正しい。高向玄理は小野妹子に従って隋へ渡海した。大化改新で国博士に任じら、翌年には新羅に派遣された。 Yは正しい。黄檗宗(おうばくしゅう)を伝えたのは隠元隆琦(いんげんりゅうき)です。
5第1問
問4
空欄【ウ】【エ】と、それらの場所を示した次の地図上の位置a~dとの組合せとして正しいものを一つ選べ。 ・尼子氏と毛利氏が領有を争った港町温泉津。朝鮮から伝わった新技術によって生産量が増大した【ウ】銀山の積出し港で、船をつなぐために加工した岩も世界遺産の一部。 ・【エ】では、港の近くの神社で、奉納された和船の模型や絵馬を見た。アメリカとの通商条約で開港された【エ】は、開港される前からにぎわっていた。
①ウ-a  エ-c
②ウ-a  エ-d
③ウ-b  エ-c
④ウ-b  エ-d

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
【ウ】は、石見銀山(または大森銀山)。島根県にあり、温泉津はその積み出しを行った港。 【エ】は新潟。1858年の日米修好通商条約で開港したのは、横浜・長崎・新潟・神戸・函館。
6第1問
問5改
次の写真Ⅰ~ Ⅲ について、古いものから年代順に正しく配列したものを次ページの①~⑥のうちから一つ選べ。 Ⅰ 船で舞鶴へ到着した大陸からの役員軍人や引揚げ者たち Ⅱ 満州・内蒙古の開拓への参加を青少年に訴えるポスター Ⅲ 宣戦布告後、日本海航行に関して出された電報
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥〇 :  
Ⅰ 役員軍人や引揚げ者が船で帰国したのは1940年代。引揚げ者とは、第二次世界大戦の敗戦によって、台湾・朝鮮半島・南洋諸島などの外地や、日本から多数の入植者を送っていた満州などに移住していた日本人で、日本軍の敗北に伴って日本本土に帰国した海外在住日本人のこと。 Ⅱ 満州・内蒙古の開拓への参加は1930年代。満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)とよばれ、日本内地の数え年16歳から19歳の青少年を満州国に開拓民として送出する制度。 Ⅲ 1900年代の日露戦争時のもの。日露戦争とは、1904~05年に朝鮮および満州の支配権をめぐる対立から発展した日本・ロシア間の軍事衝突。
7第1問
問6改
『移動や情報伝達の手段は時代とともに変化する』という文面に関連して、古代から近代の交通や通信について述べた文として誤っているものを一つ選べ。
①古代には、中央と地方を結ぶ道路が整備され、駅家が置かれた。
②中世の陸上輸送では、馬借や車借といった業者が活躍した。
③近世には、幕府の継飛脚や民間の町飛脚などが、書状を運んだ。
④近代に入ると、日本で最初の鉄道が新橋・横須賀間に敷設された。

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 : 横須賀ではなく横浜である。
8第2問
問1改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを一つ選べ。 6世紀なかばに百済の聖明王から仏像や経典が伝えられると、仏教が豪族の間に広まり6世紀末には【ア】氏が飛鳥寺(法興寺)を建立。仏教が地方社会に浸透していくうえでの一つの拠点となったのは、律令制下で【イ】として行政を担うことになる地方豪族が建てた寺院であった。
①ア 大伴  イ 国 司
②ア 大伴  イ 郡 司
③ア 蘇我  イ 国 司
④ア 蘇我  イ 郡 司

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
【ア】は蘇我。飛鳥寺(法興寺)は蘇我馬子が建立した寺。大伴氏は672年の壬申の乱で復活して活躍するようになった。 【イ】は郡司。地方豪族が担った役職は郡司である。国司は中央貴族が任命され地方の各国へ派遣された。
9第2問
問2改
7世紀後半の諸政策について述べた文として正しいものを一つ選べ。
①飛鳥の地に、西大寺や大官大寺などの大寺院が建立された。
②最初の全国的な戸籍である康午年籍がつくられた。
③冠位十二階が制定され、豪族が新たな身分秩序のもとに再編された。
④大王の系譜などを採録する『旧辞』の編さんが開始された。

①× : 西大寺は8世紀後半である。
②〇 :  ③× : 冠位十二階(603年)ではなく八色の姓が正しい。
④× : 旧辞の編さん開始は6世紀であり、日本にかつてあったとされる歴史書。
10第2問
問3改
『東アジアの変動と深くかかわりあいながら、仏教が受容されていった』に関連して、古代における東アジア諸国からの文化や技術の受容に関して述べた次の文について、正しいものの組合せを一つ選べ。 a 5世紀には、進んだ技術をもつ渡来人が陵戸に編成された。 b 6世紀には、百済から渡来した五経博士をはじめとする諸博士が、儒教や暦法などを伝えた。 c 7世紀には、百済からの亡命貴族の影響もあり、漢詩文が作られるようになった。 d 8世紀には、遣唐使は遭難の危険が少ない朝鮮半島沿岸を通過するようになつた。
①a・ c
②a・ d
③b・ c
④b・ d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
a 誤 陵戸は律令制で五色の賤の一つであり陵墓を守る賤民のこと。 b 正 c 正 d 誤 8世紀は新羅との対立があり朝鮮半島を経由せず、東シナ海を横断する南路をとった。
11第2問
問4改
8世紀から9世紀にかけての『あいつぐ政治抗争』に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを一つ選べ。 Ⅰ 造都を主導していた藤原種継が暗殺され、早良親王が首謀者として処罰された。 Ⅱ 三筆の一人として知られる橘逸勢が、謀反を企てたとして流罪になつた。 Ⅲ 政権を批判して九州で反乱を起こした藤原広嗣が敗死した。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤〇 :  ⑥× :  
Ⅰ 藤原種継が暗殺されたのは785年。 Ⅱ 842年の承和の変。三筆とは空海、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)。 Ⅲ 740年の藤原広嗣の乱。
12第2問
問5改
『登土信仰が 階層を問わず多くの人々の心をとらえるようになった。』に関連して、浄土信仰の興隆やその背景について述べた文として誤っているものを一つ選べ。
①末法思想が広がるなか、11世紀なかばに平等院鳳風堂が建てられた。
②空也は、京の市中で念仏を唱えて往生を説き、阿弥陀信仰を広めた。
③定朝は、一木造の技法を考案して、仏像の大量需要にこたえた。
④院政期には、豊後の富貴寺大堂など、阿弥陀堂が地方でも建てられた。

①× :  ②× :  ③〇 : 一木造ではなく「寄木造」。寄木造とは、仏像制作上でいくつかの木材をはぎ合せて仕上げる方法であり、定朝により一定の法則が完成された。一木造とは、木彫技法の一つで1本の木材から像を丸彫した継ぎ目のないもの。
④× :  
13第2問
問6改
9・10世紀の地方支配に関して述べた次の文X・Y について、その正誤の組合せとして正しいものを一つ選べ。 X 9世紀前半には、大宰府管内に公営田が設置され、直営方式による財源の確保がはかられた。 Y 10世紀前半には、荘園整理令が発布され、記録荘園券契所(記録所)が設置された。
①X 正  Y 正
②X 正  Y 誤
③X 誤  Y 正
④X 誤  Y 誤

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
X 正 Y 誤 記録荘園券契所が設置されたのは、1069年の後三条天皇のときの延久の荘園整理令のときである。なお、10世紀前半は醍醐天皇のときの延喜の荘園整理令があるが、このときはまだ記録荘園券契所はなかった。
14第3問
問1改
『鎌倉幕府の支配の基盤には 将軍と御家人の間に結ばれた主従関係があった』に関して述べた次の文について、その正誤の組合せとして正しいものを一つ選べ。 X 平氏から没収した荘園を含む関東御領は、幕府の経済基盤となった。 Y 守護は、天皇や将軍の御所を警護する京都大番役の催促を職務とした。
①X 正  Y 正
②X 正  Y 誤
③X 誤  Y 正
④X 誤  Y 誤

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
X 正 Y 誤 将軍の御所は鎌倉なので「鎌倉番役」である。天皇の御所は京都大番役で正しい。
15第3問
問2
承久の乱に関連して、鎌倉幕府が幕府側に味方した武士に与えた文書である次の史料に関して述べた下の文a~ dについて、正しいものの組合せを一つ選べ。 史料 備後国地砒庄(注1)の事、地頭重俊の子息太郎、京方において死去せしむといえども、同次郎(注2)、御方において合戦の忠を致しおわんぬ。しかれば重俊の地頭職、相違なく安塔せしむべきの状、仰せにより下知くだんの如し(注3)。 (注1) 備後国地砒庄(じびのしょう):現在の広島県にあった荘園。 (注2) 同次郎:重俊の子息である次郎。 (注3) 仰せにより下知くだんの如し:幕府の命令は以上の通りである。 a 次郎は、後鳥羽上皇側の味方として承久の乱に参加した。 b 次郎は、鎌倉幕府側の味方として承久の乱に参加した。 c 息子が鎌倉幕府側に味方したので、重俊は地頭職を安塔された。 d 息子が後鳥羽上皇側に味方したので、重俊は地頭職を没収された。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
a 誤 次郎は鎌倉幕府側(御方)として参加した。 b 正 c 正 d 誤 史料より、地頭職を没収ではなく「安堵」された。 史料は「承久3(1221)年7月26日関東下知状」であり、京方は後鳥羽上皇側、御方は鎌倉幕府側を指している。
16第3問
問3改
『幕府は 1333年に滅亡し、建武の新政が始まった。』に関連して、その前後の出来事に関して述べた次の文について、古いものから年代順に正しく配列したものを一つ選べ。 Ⅰ 元に建長寺船が派遣された。 Ⅱ 雑訴決断所が設置された。 Ⅲ 北畠親房が『神皇正統記』を著した。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅰ 建長寺船とは、火災にあった鎌倉の建長寺造営の費用を調達するために鎌倉幕府が公認した民間の貿易船であり、元に派遣されたのは1325年 Ⅱ 雑訴決断所とは、日本の南北朝時代(建武の新政期)に朝廷に設置された訴訟機関であり、設置されたのは1333年。 Ⅲ 北畠親房が『神皇正統記』を著したのは1339年。神皇正統記(じんのうしょうとうき)とは、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書。
17第3問
問4改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを一つ選べ。 長期化していた南北朝の内乱も、足利義満の時代には終息に向かった。この時期には幕府機構の整備も進み、将軍を補佐する【ア】には、足利一門の有力守護が交替で任命された。義満は軍事・財政にも力を入れ、【イ】とよばれる直轄軍を編成し、地方の幕府直轄領を管理させた。
①ア 執権 イ 評定衆
②ア 執権 イ 奉公衆
③ア 管領 イ 評定衆
④ア 管領 イ 奉公衆

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
ア 管領。執権とは鎌倉時代に、将軍の補佐、幕府の庶務の総監に当たった職名。 イ 奉公衆。評定衆とは、鎌倉・室町時代に置かれた役職の一つ。鎌倉時代において幕府の最高政務機関であり、行政・司法・立法のすべてを司っていた。
18第3問
問5改
『地方での通産業の発達と、それにともなう商業・流通の活発化』に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを一つ選べ。 X 石清水八幡宮の保護のもと、大山崎を拠点に独占的な販売を行った。 Y 貨幣の需要の高まりによって粗悪な銭が流通し、良銭が求められた。 a 綿 座  b 油 座  c 撰 錢  d 分一錢
①X - a  Y - c
②X - a  Y - d
③X - b  Y - c
④X - b  Y - d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 石清水八幡宮の座は大山崎の「油座」。綿座は祇園社。 Y 粗悪な銭が流通し良銭を求める撰銭(えりぜに)が行われた。
19第3問
問6改
『禅宗寺院は政治、文化などさまざまな面で、中国との交流の窓口になった』に関連して、室町時代の対外関係について述べた文として正しいものを選べ。
①朝鮮は日本に対し、倭冠の取締りを求めた。
②足利義持は、朝貢形式をきらって朝鮮との関係を絶った。
③日本は書籍や陶磁器をおもに輸出し、中国から刀剣や扉風をおもに輸入した。
④水墨画が中国から伝えられ、如抽や藤原隆信らが活躍した。

①〇 :  ②× : 朝貢形式(明国を主として日本が挨拶に出向く)だったのは朝鮮ではなく中国の明である。足利義満は朝貢形式の日明貿易を始め、義満の子の義持が明と断交。その後に足利義教のときに再開している。
③× : 輸出品と輸入品が逆
④× : 如拙や雪舟が室町時代に水墨画を描いた。藤原隆信は平安末期~鎌倉初期の宮廷画家で、似絵(にせえ)の名手といわれた。
20第4問
問1
空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを一つ選べ。 【ア】は本名を杉森信盛といい、1653年生まれといわれているが、幼少期のことはあまりよくわかっていない。父の杉森信義は越前吉江藩に仕える武士であつたが、のち浪人となる。信盛については10代後半には京都に住み、公家に仕えていたことがわかっている。  やがて彼は武士身分を捨て、宇治加賀藤一座のもとで歌舞伎や浄瑠璃の作者となり、浄瑠璃の竹本義太夫や竹田出雲、歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供するようになった。代表作として、世話物では『曽根崎心中』『心中天網島』、時代物では『国性爺合戦』などがある。『国性爺合戦』は、日本で生まれた難成功が中国大陸 へ渡り、滅亡した【イ】の再興をめざし、日本に援兵を要請したという史実を 題材にした作品である。規模が壮大で異国情緒もあり、人気を博した。
①ア 井原西鶴   イ 明
②ア 井原西鶴   イ 清
③ア 近松門左衛門 イ 明
④ア 近松門左衛門 イ 清

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
ア 浄瑠璃の作者は「近松門左衛門」である。井原西鶴は浮世草子の作者で、『好色一代男』や『日本永代蔵』などを著した。 イ 明。明は1644年に滅んだがその後は清が中国を統一していった。
21第4問
問2改
『上方は経済先進地として栄え』に関連して、近世の上方について述べた文として正しいものを選べ。
①京都の豪商である末次平蔵は、藤川や賀茂川の整備を行った。
②元禄期には大阪堂島の十組問屋が、幕府に公認された。
③上方で生産された醤油が、幕府まで江戸の市場を独占した。
④蝦夷地や日本海側の産物が、北前船で上方へ運ばれた。

①× : 末次平蔵ではなく「角倉了以」。末次平蔵は上方ではなく長崎の豪商。
②× : 公認されたのは十組問屋ではなく「二十四組問屋」
③× : 幕末になると銚子や野田の醤油も盛んになり上方の独占状態ではない。
④〇 :  
22第4問
問3改
美術工芸に関連して、次の作品X・Yと、それに該当する作者名a~dとの組合せとして正しいものを一つ選べ。 a 住吉如慶 b 菱川師宣 c 尾形光琳 d 野々村仁清
①X - a  Y - c
②X - a  Y - d
③X - b  Y - c
④X - b  Y - d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 菱川師宣の見返り美人図。 Y 尾形光琳の八橋蒔絵螺細硯箱。
23第4問
問4改
空欄【ウ】に入る語句の組合せとして正しいものを一つ選べ。 1787(天明7)年は、政治・社会に関する大きな変動が起きた年である。【ウ】が老中に就任し、いわゆる「寛政の改革」が始まった。この年、江戸や大坂など多くの都市で、商家が襲われる打ちこわしが発生し、数年来の飢餓により各地で多発した百姓一揆とあいまって、社会不安が増大していた。
①田沼意次
②徳川吉宗
③水野忠邦
④松平定信

①× : 田沼意次は江戸時代中期の幕府老中である。
②× : 徳川吉宗は享保の改革を行った。
③× : 水野忠邦は天保の改革を行った老中。
④〇 : 寛政の改革は「松平定信」である。
24第4問
問4改
空欄【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを一つ選べ。 1787年に行われた光格天皇の大誉祭では、古い儀式が数多く再興された。これは、武家政権成立以前の天皇像を理想とする、光格天皇の君主意識のあらわれとされる。この天皇は、のちに幕府との間で【エ】を引き起こし、対立することもあった。尊王思想が興隆するなか、朝廷をめぐる新たな動きもみえはじめた年といえよう。
①紫衣事件
②宝暦事件
③明和事件
④尊号一件

①× : 紫衣事件とは、江戸時代初期における、江戸幕府の朝廷に対する圧迫と統制を示す朝幕間の対立事件。禁中並公家諸法度で許可規定が定められているのにも関わらず、後水尾天皇が幕府の了解を得ずに大徳寺などの僧侶に紫衣着用を許可したことを幕府が違法だと問題にして、これを取り消し、抗議した大徳寺の沢庵らを流罪にした事件。
②× : 宝暦事件とは、江戸時代後期の1758年に朝廷の尊王論者が幕府に処罰された事件。
③× : 明和事件は、1767年、山県大弐が江戸で尊王論を説き、幕政の腐敗を攻撃し死刑に処せられた事件。
④〇 :  
25第4問
問5改
次の史料は、1787年の江戸や大坂など多くの都市で商家が襲われるの打ちこわしの際に、先手組に出された指示である(『御触書天明集成』)。この史料に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを一つ選べ。 史料 御先手(注1)長谷川平蔵(ほか9名略) 町方騒々しき趣相聞え候に付、組のもの(注2)召し連れ、今日より相廻り、暴れ候ものども召し捕え、町奉行へ相渡さるべく候、尤も手にあまり候はば、切捨てに致し候ても苦しからず候間、其趣心得らるべく候(略) (注1) 先手:先手組のこと。幕府の軍事部門(番方)の一組織で、江戸城・将軍の警備や江戸の治安維持を担当。 (注2) 組のもの: 長谷川平蔵らが率いる与力・同心。 X 先手組に、江戸市中の見回りをするよう指示している。 Y 逮捕した者を、町奉行所に引き渡すように先手組に命じている。
①X 正  Y 正
②X 正  Y 誤
③X 誤  Y 正
④X 誤  Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
26第4問
問6改
『尊王思想が興隆』に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを一つ選べ。 Ⅰ 宝暦事件において、京都で公家に尊王論を説いた竹内式部が追放された。 Ⅱ 藤田東湖・会沢安(正志斎)らが、尊王撰夷論を説いた。 Ⅲ 明和事件で、幕政を批判し尊王論を説いた山県大式が死罪となった。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅰ 宝暦事件は1758年。 Ⅱ 藤田東湖らが尊王攘夷論を説いたのは19世紀前半。 Ⅲ 明和事件は1767年。
27第5問
問1改
空欄【ア】に入る語句の組合せとして正しいものを一つ選べ。 近世の大坂は、諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国的な商業・金融の中心として栄え幕末には京都とともに政治の主要な舞台となった。1863年以降は、西上した将軍【ア】が大坂城や京都の二条城に滞在し、長州征討(長州戦争)では多数の幕府方の軍が大坂の町家・寺院に駐留して、民衆の生活を圧迫した。特に1866年には凶作とあいまって米価が高騰し、民衆は多くの米屋を襲った。また同年に【ア】が大坂城で病死し、将軍職を継いだ徳川慶喜も同城で政務を執った。
①徳川家斉
②徳川家定
③徳川家茂
④徳川家慶

①× : 家斉の時代は松平定信による寛政の改革があった。
②× :  ③〇 :  ④× : 家慶の時代は水野忠邦による天保の改革や黒船来航があった。
28第5問
問2改
『1866年には凶作とあいまって米価が高騰し、民衆は多くの米屋を襲った』に関連して、幕末期の民衆の動きに関して述べた次の文X・Yにつ いて、その正誤の組合せとして正しいものを一つ選べ。 新政府の成立直後に、大久保利通が大阪への遷都を唱えた。これは、即位したばかりの【イ】を、守旧的な公家から引き離すことに加え、大阪の海陸交通の便利さも重視してのことであった。しかし、大阪への遷都は行われず、明治初年の大阪経済は、新政府による多額の御用金賦課、諸藩債務の破棄やその返済の長期化、蔵屋敷の廃止などで打撃を受けた X 各地で、世直しを求める大規模な一揆が発生した。 Y 「ええじゃないか」とよばれる民衆の乱舞が流行した。
①X 正  Y 正
②X 正  Y 誤
③X 誤  Y 正
④X 誤  Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正 Y 正
29第5問
問3改
『大久保利通』について述べた文として正しいものを選べ。
①幕末期に、木戸孝元とともに長州藩の中で実権を握った。
②岩倉使節団を送り出したあとの国内政治を担当した。
③警察や地方行政などを管轄する内務省を設置した。
④西郷隆盛と大阪会議を開き、潮進的な国会開設方針を決めた。

①× : 大久保利通は西郷隆盛とともに「薩摩藩」で実験を握った。
②× : 大久保利通は岩倉使節団の一員として欧米を回ったので、送り出したのではない。
③〇 :  ④× : 西郷隆盛ではなく木戸孝允・板垣退助。西郷隆盛は大阪会議には参加していない。
30第5問
問4改
『薩摩出身の五代友厚や各地からの実業家と在来の大阪商人』に関連して、明治期の政商や実業家に関して述べた文として誤っているものを選べ。
①新政府から特権を得た住友は、三池炭鉱の払い下げをうけた。
②五代友厚は、開拓使の官有物の払い下げをうけようとした。
③岩崎弥太郎は、海運業に参入し、三菱財閥の基礎を築いた。
④古河市兵衛は、足尾銅山を取得して、鉱山業を営んだ。

①〇 : 三池炭鉱は福岡県から熊本県にかけてあった炭鉱。住友ではなく三井に払い下げられた。
②× :  ③× :  ④× :  
31第6問
問1改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。  1952年には日比谷公園から皇居前広場に向かったデモ隊が、警官隊と衝突する【ア】が発生した。また、日比谷公園は近代国家日本の発展を祝い、国民意識を醸成する空間でもあった。たとえば、戦争に際しては、シンガポール陥落(1942年)の祝勝会が開かれている。さらに【イ】発布二十周年記念祝賀会(1909年)や東京奠都(注)五十年祭(1919年)の会場にもなった。 (注) 奠都: 都をその地に定めること。
①ア 血のメーデー事件(メーデー事件)  イ 普通選挙法
②ア 血のメーデー事件(メーデー事件)  イ 憲法
③ア 三・一五事件           イ 普通選挙法
④ア 三・一五事件           イ 憲 法

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
【ア】血のメーデー事件。三・一五事件は、1928年に治安維持法により日本共産党を弾圧した事件。 【イ】憲法である。普通選挙法は大正時代末期の1925年に成立。
32第6問
問2改
『日比谷公会堂』に関連して、日比谷公会堂で開催された催事に関する次の新聞記事と広告Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを下の選択肢のうちから選べ。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅰ 満州事変は1931年に発生。資料では2周年記念とあるため1933年の資料。 Ⅱ サイパン奪還国民有志大会は1944年。 Ⅲ 四党代表立会大演説会は1950代前半。
33第6問
問3改
『日比谷公会堂では1960年に日本社会党の浅沼稲次郎が演説中に刺殺される事件』に関連して、近代日本の要人殺害事件について述べた文X・Yと、それに該当する場所a~ dとの組合せとして正しいものを一つ選べ。 X 初代韓国統監をつとめたこの人物は、ハルビン駅で安重根に殺害された。 Y この事件では、三井合名会社理事長の団琢磨(琢磨)らが殺害された。 a 原 敬           b 伊藤博文 c 虎ノ門事件(虎の門事件)   d 血盟圍事件
①X - a  Y - c
②X - a  Y - d
③X - b  Y - c
④X - b  Y - d

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
X 伊藤博文。原敬は1921年に総理大臣在任中に東京駅で刺殺された。 Y 血盟団事件。虎ノ門事件は1923年に昭和天皇が皇太子のときに車が狙撃された事件。
34第6問
問4改
下線部(c)に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する場所a~ dとの組合せとして正しいものを一つ選べ。 公園は、新たな技術や文化との出会いの場でもあった。上野公園(東京都台東区)では、第1回内国勧業博覧会(1877年)が開かれ、機械・美術品などが展示された。公園を舞台とした勧業博は、日本の産業・文化の近代化に貢献し, c:工業国家日本の出発を示すものとなった。 X 三菱に払い下げられたこの地の造船所は、大規模造船に取り組み、日清戦争後の日本の造船業を牽引した。 Y 八幡製鉄所は、この地から産出する鉄鉱石を原材料として利用した。 a 兵庫   b 長崎   c 大治   d 筑豊
①X - a  Y - c
②X - a  Y - d
③X - b  Y - c
④X - b  Y - d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 三菱に払い下げられたのは長崎造船所(現在の三菱重工)。なお、兵庫には兵庫造船所(現在の川崎重工)がある。 Y 八幡製鉄所が鉄鉱石買入契約を結んだ(1899年)のは、中国湖北省の鉄鉱石産地である大冶鉄鉱(だいやてっこう)である。
35第6問
問5改
明治期の出版や文化について述べた文として正しいものを一つ選べ。 天王寺公園(大阪府大阪市)の地で開かれた第5回内国勧業博覧会(1903年)では、建物を装飾したイルミネーション、5色にライトアップされた大噴水、エレベータなどが人気を集めた。この博覧会では、下の図に描かれているように、電気という科学技術の成果が来場者に強い印象を与え、 その様子は出版物を通じて人々に伝えられた。 図 「第五回内国勧業博覧会電灯装飾之図」
①『中央公論』に掲載された民撰議院設立建白書は、自由民権運動が広がるきっかけとなった。
②新聞紙条例にもとづき、横浜毎日新聞が創刊された。
③北村透谷は『文学界』の誌上で、人間の感情を重視するロマン主義を説いた。
④大衆娯楽雑誌として『キング』が創刊され、多くの読者を獲得した。

①× : 民撰議院設立建白書を掲載したのは『中央公論』ではなく『日新真事誌』。
②× : 新聞紙条例は1875年に対して、横浜毎日新聞(日本初の日刊紙)の創刊は1871年。
③〇 :  ④× : キングは1925年創刊。
36第6問
問6改
『米穀自給率低下が問題とされた情勢において、生産技術改良に積極的に取り組んだ』に関連して、米の生産に関する統計(10年ごとの平均値)の動向を示した次の表に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを一つ選べ。 X 1haあたり米生産量の増加率は、田耕地面積の増加率よりも高い。 Y 1901年以降の米生産量の上昇は、農業協同組合(農協)のもとで推進された機械化の結果である。
①X 正  Y 正
②X 正  Y 誤
③X 誤  Y 正
④X 誤  Y 誤

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
X 正 Y 誤 農業協同組合は戦後の1947年になってから設立。
37第6問
問7改
国体に関して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 1965年に開園した水元公園(東京都葛飾区)の歴史は、1940年の「紀元二千六百年奉祝典」をきっかけとした水元緑地の計画にさかのぼることができる。このときの「奉祝典」は、f(国体の精華(注)を発揮)して国難を克服することを呼びかけて挙行され、各地で記念行事が行われた。 (注)精華:すぐれたところ。
①陸軍省は『国体の本義』を刊行して、国民に向けて国体の尊厳を説いた。
②治安維持法は、国体の変革と共産主義否認を目的とする結社を禁止した。
③田中義一内閣は治安維持法を改正し、最高刑を死刑へと引き上げた。
④ポツダム宣言には国体護持を保証する条件が記されていた。

①× : 陸軍省ではなく「文部省」。
②× : 治安維持法は共産主義を取り締まるのが目的であり、共産主義否認を目的とする結社を禁止するのではない。
③〇 :  ④× : ポツダム宣言には国体護持を保証する文言はない。国体護持とは天皇制擁護の立場から早期和平を実現するというもの。
38第6問
問8改
長州藩出身者が組織した内閣に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。 1968年には、佐藤栄作内閣が明治百年記念式典を開催して、日本の近代化の成果をたたえた。これにともない、国土の緑化や歴史の保存・顕彰などの記念事業が、全国各地で実施された。このとき建設省は、全国で10か所の「明治百年記 念森林公園」を指定した。g(維新百年記念公園(山口県山口市))や、佐賀県立森林公園(佐賀県佐賀市)などが、これにあたる。 Ⅰ 寺内正毅内閣が、軍隊を出動させて米騒動を鎮圧した。 Ⅱ 桂太郎内閣が、大逆事件を契機に社会主義者を弾圧した。 Ⅲ 山県有朋内閣が、軍部大臣現役武官制を定めた。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥〇 :  
Ⅰ 寺内正毅内閣のときの代表的な米騒動は1918年。 Ⅱ 桂太郎内閣が社会主義者を弾圧したのは1910年。明治34年(1901年)、首相に就任。日英同盟を締結し、日露戦争で日本を勝利に導いた。西園寺公望と交代で首相を務め、「桂園時代」と呼ばれた。 Ⅲ 山県有朋内閣が軍部大臣現役武官制を定めたのは1900年。明治政府では軍政家として手腕をふるい、日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。

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