2016年日本史Bの個別情報

センター試験の日本史B(2016年)について1問ごとに問題文と解説の確認ができます。問題番号に「改」が含まれる問題はオリジナルからスマホ学習用に編集されています。

問題番号をクリックすると個別問題にチャレンジできます。

問題文 / 解説
1問1
第1問改
空欄【ア】【イ】に入る語句として正しいものを選べ。 歴史の辞典類を調べたところ、日本の日記の歴史は思ったより古い。すでに『日本書紀』には、官人の日記とされる文章が引用されている。7世紀後半に【ア】に派遣された伊吉博徳(いきの はかとこ)の記録などがそれだ。現存する最古の自筆日記は、【ア】の『御堂関白記』らしい。【イ】の「此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることも無しと思へば」という和歌も、同時代の藤原実資の日記『小右記』に記されて伝わった。
①ア 唐 イ 藤原道長
②ア 唐 イ 藤原頼通
③ア 宋 イ 藤原道長
④ア 宋 イ 藤原頼通

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
ア 七世紀後半に派遣されたといえば、唐である。894年に菅原道真により廃止されるまで続いた。 イ 「この世おばわがとぞ思う望月の…」は藤原道長である。御堂関白記は藤原道長の日記である。
2問1
第2問改
日本書紀に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X 『日本書紀』は、神話からはじまり、聖武天皇の時代までの出来事を記している。 Y 『日本書紀』など、古代の歴史書を研究した津田左右吉は、『古事記伝』を著した。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
X 誤。日本書紀は神代から持統天皇までの出来事を記している。聖武天皇はその後の時代に東大寺のほかに、諸国に国分寺・国分尼寺を建立した人である。 Y 誤。古事記伝を記したのは本居宣長である。津田左右吉は歴史学者である。
3問1
第3問改
印刷・出版に関して述べた文として正しいものを選べ。
①鎌倉時代、律宗の僧侶は五山版とよばれる漢詩文集、仏典などを刊行した。
②キリスト教宣教師がもたらした活字印刷機で、キリシタン版(天草版)が出版された。
③享保の改革では、酒落本が取り締まられ山東京伝らが処罰をうけた。
④GHQは、戦時中の言論統制を否定し、占領政策を批判する自由を認めた。

①× : 五山とは臨済宗寺院を示し五山版とよばれる書籍が室町時代に刊行された。
②〇 : 活版印刷機は1590年にイエズス会の宣教師であるヴァリニャーニによってもたらされたといわれている。
③× : 「酒落本が取り締まられ山東京伝らが処罰をうけた」のは寛政の改革である。
④× : 文意が逆である。GHQは戦時中の言論統制を行っており、占領政策を批判する自由を否定した。
4問1
第4問改
空欄【ウ】【エ】に入る語句として正しいものを選べ。 日記といえば、紀貫之の『土佐日記』のような、【ウ】で書かれた日記について調べればよいと思っていた。ところが、もっと広く考えなければならないようだ。古代から、役所ではのちの参照に備えて職務日誌がつけられ、これらも日記よばれた。鎌倉幕府の歴史書『【エ】』も、幕府内部のこのような記録や貴族刀日記などを参照しているらしい。
①ウ 漢文 エ 愚管抄
②ウ 漢文 エ 吾妻鏡
③ウ かな エ 愚管抄
④ウ かな エ 吾妻鏡

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
ウ 誤。土佐日記はかなで記載されている。 エ 誤。鎌倉幕府の歴史書は吾妻鏡である。愚管抄は、鎌倉時代初期の史論書であり、作者は天台宗僧侶の慈円。
5問1
第5問改
米の生産や価格に関して述べた文として正しいものを選べ。
①弥生時代前期の水田は乾田中心であったが、後期には湿田の比重が高まった。
②奈良時代、多収穫米の外来品種である大唐米が、日本列島全域に普及した。
③民衆が米価の高騰に苦しむなか、幕政を批判して大塩平八郎が武装蜂起した。
④シベリア出兵を見越した米の買い占めで米価が暴落し、米騒動が起こった。

①× : 乾田と湿田が逆である。最初に湿田が行われて乾田へ発展した。稲の根は乾田の方が生長がよい。
②× : 大唐米が輸入されたのは平安時代から鎌倉時代にかけてである。
③〇 : 大塩平八郎の乱である。
④× : 米の買い占めで需要が大きくなり価格が高騰した。
6問1
第6問改
女性と社会のかかわりに関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X 学制公布直後から、女子の就学率は男子とほぼ等しかった。 Y 市川房枝らが新婦人協会を結成し、女性の政治参加を主張した。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 誤。学制公布直後は、女子の就学率は男子とより低かった。 Y 正。平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらを中心に日本初の新婦人が結成された。
7問2
第1問改
【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを選べ。 漆の製品は、日本の伝統的な工芸品であり縄文早期の遺跡から赤色漆塗りの製品が出土している。漆は塗料のほか、接着剤としても使用された。縄文を施した土器や、人間を模した造形の【ア】などとともに、漆製品は縄文時代の文化を代表する。  奈良時代には、漆を用いた乾漆の技法によって多くの仏像がつくられた。【イ】はその一例である。
①ア 土偶 イ 法隆寺百済観音像
②ア 土偶 イ 東大寺法華堂不空罵索観音像
③ア 埴輪 イ 法隆寺百済観音像
④ア 埴輪 イ 東大寺法華堂不空絹索観音像

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
ア 縄文時代といえば土偶である。埴輪は古墳時代。 イ 乾漆の技法は東大寺法華堂不空罵索観音像である。法隆寺百済観音像は木造となっている。
8問2
第2問改
漆液の染みこんだ文書は漆紙文書(うるしがみもんじよ)とよばるが、多賀城跡から出土した次の史料(漆紙文書)に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X 「猿売」は女性なので、調・庸を負担しなかった。 Y 計帳を使った支配は、東北地方にまでおよんでいた。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正。当時は女性は租は負担したが、調・庸は課されなかった。 Y 正。多賀城城は宮城県にある。
9問2
第3問改
平安時代の藤原氏について述べた文として正しいものを選べ。
①冬嗣は桓武天皇から蔵人頭に任じられのちの摂関家の基礎を築いた。
②良房は他氏を退けるとともに、臣下ではじめて摂政の任についた。
③忠平は醍醐・村上両天皇の摂政・関白となって実権を握った。
④頼長は源義朝と結んで平治の乱を起こしたが、平氏に討たれた。

①× : 藤原冬嗣は桓武天皇ではなく嵯峨天皇より蔵人頭に任じられた。
②〇 : 藤原良房は臣下ではじめて摂政となった。
③× : 醍醐・村上両天皇は摂政・関白を置いていない。
④× : 平治の乱は藤原信頼である。保元の乱が頼長である。
10問2
第4問改
アジアに広がる香の交易に関連して、奈良時代の貴族らが、来日した新羅の使節団から購入しようとした品目を書きあげた次の史料(現代語訳)に関して述べた下の文a-dについて、正しいものの組合せを選べ。 史料 合わせて23種 (中略) 薫陸(くんろく)(注1)15斤(注2) 人参(にんじん)(注3)4斤 町梨鞘(かりろく)(注4)200顆(注5) (中略) 用意した代価は綿(注6)500斤、糸30斤 以上、購入したい新羅物と用意した代価などは、上記の通りです。謹んで申しあげます。 天平勝宝4(752)年6月23日 (注1)薫陸:薫陸香。インド等原産の香料。(注2)斤:重さの単位。 (注3)人参:朝鮮半島原産の薬物。(注4)珂梨鞘:東南アジア原産の薬物。(注5)頼:個数を示す単位。(注6)綿:真綿。繭から作られた綿。 a 新羅は、香の中継貿易を行っていた。 b 新羅とのこの交易の代価は、銭貨であった。 c この文書が作成された頃、朝鮮半島では新羅・高句麗・百済が分立していた。 d この文書が作成された頃、東大寺では大仏の開眼供養の儀式が行われた。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
a 正。注1の記述から、新羅はインド原産の香料を日本へ売っていることになるため、香の中継貿易を行っていることになる、 b 誤。史料では「用意した代価は綿と糸」とあるため、銭貨ではない。 c 誤。史料は752年(奈良時代)に作成されたことが史料よりわかる。当時は新羅が百済や高句麗を滅ぼして朝鮮半島を統一していた。 d 正。東大寺で大仏の開眼教養の儀式が行われたのは752年であり正しい。743年に聖武天皇が出した大仏造立の詔も覚えておきたい。
11問2
第5問改
仏教に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a-dとの組合せとして正しいものを選べ。 X 唐に渡って密教を学び、帰国後、天台宗の密教化を進めた。 Y 念仏による極楽往生の教えを説いた書で、源信(恵心情都)が著した。 a 玄肪 b 円珍 c 『往生要集』 d 『日本往生極楽記』
①X - a 、Y - c
②X - a 、Y - d
③X - b 、Y - c
④X - b 、Y - d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
a 玄肪 学問僧として唐へ入り、帰国後は吉備真備らと結託し政界に重きをなすにいたる。 b 円珍 唐にわたって密教を学んで帰国後に天台宗の密教化を進めた。円珍の前は、円仁も同様なことを行っている。 c 『往生要集』 源信が著した。極楽往生に関する重要な文を集め、念仏の要旨などを示したもので日本の浄土教の思想的基礎となった。地獄に関する記述は広く民衆にまで影響を与えた。 d 『日本往生極楽記』 慶滋保胤が著した平安時代の往生者の伝記集。
12問2
第6問改
大宰府にかかわる出来事に関して述べた次の文Ⅰ-Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 I 刀伊(女真人)が九州北部に来襲したが、大宰権帥の藤原隆家によって撃退された。 Ⅱ 政府は九州北部の要地を防衛するために、水城や大野城を築いた。 Ⅲ 右大臣の菅原道真は失脚し、大宰権帥に左遷されて任地で死去した。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  ⑤× :  ⑥× :  
I 「刀伊(女真人)が九州北部に来襲したが、大宰権帥の藤原隆家によって撃退された。」のは11世紀初頭である。 Ⅱ 「政府は九州北部の要地を防衛するために、水城や大野城を築いた。」は7世紀後半である。 Ⅲ 「右大臣の菅原道真は失脚し、大宰権帥に左遷されて任地で死去した。」は10世紀初頭である。
13問3
第1問改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを選べ。 鎌倉時代の武士は、農業経営に適した、自身の所領の要地に館をかまえた。その周辺には、佃・門田などとよばれる直営地をもち、その地の耕作には、隷属する【ア】や自身の所領内の農民を使っていた。彼らは、騎射三物とよばれる、騎射の技術を競う流鏑馬・笠懸・犬追物の訓練を、武士のたしなみとして行っていた。この時代の武士の実態は、絵巻物に見ることができる。  一方、武士の中には武術のみではなく、学問・文学や宗教・思想に関心をもつ者もいた。幕府がおかれた鎌倉では、将軍や執権の一族を中心に新しい文化が育まれた。【イ】は万葉調の和歌を詠み、『金塊和歌集』を残した。また、北条氏は中国から禅僧を招くなど、禅宗の発展に寄与した。
①ア 足軽 イ 源頼家
②ア 足軽 イ 源実朝
③ア 下人 イ 源頼家
④ア 下人 イ 源実朝

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
・足軽は戦へ徒歩で参加する雑兵 ・下人は明治頃まで用いられた隷属民の呼び名 ・源頼家は鎌倉幕府第2代将軍であり母は北条政子。のちに征夷大将軍となった ・源実朝は金塊和歌集を著した。
14問3
第2問改
次の絵巻物の図甲・乙に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X 甲には、防御施設を備えた武士の館が描かれている。 Y 乙には、火薬を利用した武器を使う元軍と、日本の武士との戦闘が描かれている。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
甲の「一遍上人絵伝」は、時宗の開祖である一遍の伝記であり、鎌倉時代の重要な絵巻。防御施設である板塀などが備えてある。 乙の蒙古襲来絵巻は永・弘安両役における肥後国の御家人竹崎季長の武功を中心に描いた絵巻。火薬を利用した武器も描かれている。
15問3
第3問改
学問・文学や宗教・思想について述べた文として正しいものを選べ。
①北条義時は学問に関心をもち、和漢の書物を集めた金沢文庫を設けた。
②伊勢神宮の神官度会家行は、本地垂迹説による唯一神道を完成させた。
③日蓮は、「南無阿弥陀仏」をとなえると極楽浄土へ往生すると説いた。
④平氏の興亡を描いた『平家物語』が、琵琶法師により平曲として語られた。

①× : 鎌倉に金沢文庫を建てたのは、北条義時ではなく北条実時である。
②× : 唯一神道(吉田神道)は、神主仏従の立場から”反”本地垂迹説を主張した。
③× : 日蓮は、南無妙法蓮華経をとなえれば仏になれると説いた。
④〇 : 平家物語は、鎌倉時代に成立し平家の興亡を記した軍記物語であり琵琶法師により語られた。
16問3
第4問改
史料1と2に関して述べた次の文a-dについて、正しいものの組合せを選べ。 史料1 : 朝倉(注1)が館の外、国内に城郭を構えさせまじく候、惣別(注2 )分限あらん者(注3)一乗谷(注4)へ引越し、郷村には代官計置かるべき事。         <朝倉孝景条久々> (注1)朝倉:戦国大名朝倉氏。(注2)惣別:総じて。(注3)分限あらん者:所領のある者。(注4)一乗谷:朝倉氏の居館があった地。 史料2 : 掟 一、市の日一ケ月  一日 六日 十一日 十六日 二十一日 二十六日  (中略) 一、諸役(注)は一切これあるべからざる事  以上 右、楽市として定め置くところ件の如し。       <北条氏世田谷新宿楽市掟書> (注)諸役:ここでは、市で課せられる税。 a 史料1では、所領をもつ家臣が乗谷に住むことを定めている。 b 史料1では、家臣が自身の所領内に城を築くことを定めている。 c 史料2では、1か月に6回、市を開く日を定めている。 d 史料2では、この市での取引に課税するよう定めている。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
a 正。史料1では、所領をもつ家臣が乗谷に住むことを定めている。 b 誤。史料1では、朝倉氏が国内に他の城を気付くことを認めていない。 c 正。史料2では、1日、6日、16日、21日、26日の月に6回市を開く日を定めている。 d 誤。史料2では、取引への課税を行わないように定めている。
17問3
第5問改
ヨーロッパ人の日本への来航に関して述べた次の文I-Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 I オランダ船リーフデ号が豊後国に漂着した。 Ⅱ スペイン人が肥前国平戸に来航し、日本との貿易を始めた。 Ⅲ 種子島に漂着したボルトガル人が鉄砲を伝えた。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥〇 :  
I 「オランダ船リーフデ号が豊後国に漂着した。」のは1600年である。 Ⅱ 「スペイン人が肥前国平戸に来航し、日本との貿易を始めた。」のは1584年である。 Ⅲ 「種子島に漂着したボルトガル人が鉄砲を伝えた。」のは1543年である。
18問3
第6問改
戦国から近世初期の城・町について述べた文として誤っているものを選べ。
①織田信長は、近江国に天守閣(天主)をもつ城を築いた。
②豊臣(羽柴)秀吉は、石山本願寺跡に大坂城を築いた。
③伊勢国の大湊は城下町として栄え、自治的に運営された。
④浄土真宗の寺院を中心とした寺内町が、建設された。

①× : 織田信長は1579年に近江国に安土城を築いた。
②× : 豊臣秀吉が石山本願寺跡に大坂城を築いた。
③〇 : 大湊は城下町ではなく港町である。
④× : 寺内町とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院を中心に形成された自治集落のこと。
19問4
第1問改
江戸幕府は大阪を直轄地にし、その周辺に徳川氏一族や譜代大名を重点的に配置したことに関連して、幕府と大名の関係について述べた文として正しいものを選べ。
①大名に、京都への参勤交代を命じた。
②大名を監察するために、目付をおいた。
③有力な外様大名に、老中の職を独占させた。
④武家諸法度を制定し、諸大名にその遵守を命じた。

①× : 参勤交代を記しているが、京都ではなく江戸である。
②× : 大名の監視を行ったのは目付ではなく大目付である。目付は旗本や御家人の監察を行った。
③× : 老中の職を行ったのは外様大名ではなく、譜代大名である。
④〇 : 武家諸法度は江戸幕府が諸大名を統制するために制定した法令であり、元和令ともよばれる。
20問4
第2問改
近世の特産品と産地について述べた次の文X・Yと、地図中に示した場所a-dの組合せとして正しいものを選べ。 X この地方は、紅花の代表的な産地として発展した。 Y この地では、西陣織など高度な技術にもとづく織物が生産された。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
X 紅花の産地といえばaの山形である。 Y 西陣織といえばdの京都が有名。
21問4
第3問改
下線部Cに関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 1716(享保元)年に7代将軍が幼くして亡くなると、三家のうちから徳川吉宗が8代将軍に就任した。吉宗はC:財政再建をはじめとするさまざまな政治改革を行い、一定の成果をあげた。 X 漢訳洋書の輸入制限を強化した。 Y 小石川養生所を設置し、貧民に医療を施した。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 徳川吉宗は享保の改革で漢訳洋書の輸入制限を緩和した。輸入制限を強化したのではない。 Y 小石川養生所は、江戸時代に幕府が江戸に設置した無料の医療施設。享保の改革における下層民対策のひとつである。
22問4
第4問改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを選べ。 只野真葛(ただのまくず)(1763?1825)こと工藤あや子は、江戸詰の仙台藩医工藤平助の長女として、江戸に生まれた。工藤平助は海外情勢に詳しく、ロシアに関する研究書や、林子平の著書『【ア】』の序文を書いたことで知られている。  真葛は、仙台藩士と結婚して仙台に移ったのち、彼女の父母やその一族のことを随筆?『むかしぱなし』に書き記した。その後、社会の現状を批判した融引を書きあげると、出版を決意し、長編小説『【イ】』執筆中の江戸の作家曲亭馬琴(滝沢馬琴)に原稿を送った。
①ア 海国兵談 イ 南総里見八犬伝
②ア 海国兵談 イ 東海道中膝栗毛
③ア 慎機論 イ 南総里見八犬伝
④ア 慎機論 イ 東海道中膝栗毛

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
海国兵談は、江戸時代初期に林子平によって書かれた政論書。 慎機論は、江戸時代後期の渡辺崋山が、幕府の対外政策を批判して書いた私文書。 南総里見八犬伝は、江戸時代後期に滝沢馬琴(曲亭馬琴)によって著わされた大長編読本。 東海道中膝栗毛は、十返舎一九の滑稽本である。
23問4
第5問改
下線部dに関連して、次の史料に関して述べた下の文a-dについて、正しいものを選べ。 只野真葛(ただのまくず)(1763?1825)こと工藤あや子は、江戸詰の仙台藩医工藤平助の長女として、江戸に生まれた。工藤平助は海外情勢に詳しく、ロシアに関する研究書などを書いたことで知られている。  真葛は、仙台藩士と結婚して仙台に移ったのち、彼女の父母やその一族のことを随筆d:むかしぱなしに書き記した。 史料 用人(注1)いう、「我が主人(注2)は、富にも禄にも官位にも不足なし。この上の願いには、田沼老中の時、仕置きたる事とて、ながき代(注3)に人のためになる事をしおきたく願うなり。何わざをしたらよからんか」と問い合わせしに、父様(注4)御こたえに、「それはいかにもよき御心付(こころづけ)なり。さあらば、国を広くする工夫よろしかるべし」。 問(注5)「それは、いかがしたる事ぞ」。 答(注6)「それ、蝦夷国は松前より地つづきにて、日本へ世々随い(したがい)居る国なり。これをひらきて、みつぎ物をとる工面をなされかし。日本を広くせしは田沼様のわざとて、永々人の仰ぐべき事よ」。 (只野真葛『むかしぱなし』) (注1)用人:ここでは田沼意次の家来。 (注2)我が主人:田沼意次。 (注3)ながき代:後世。 (注4)父様:工藤平助。 (注5)問:用人の問い。 (注6)答:工藤平助の答え。 a 田沼の用人は、主人(田沼)は金もうけや地位の上昇にしか関心がないと述べている。 b 田沼の用人は、主人(田沼)は後世に残る仕事をしたいと願っていると述べている。 c 田沼は、工藤の意見をふまえ、蝦夷地開発の可能性を調査するため、最上徳内らを同地に派遣した。 d 田沼は、工藤の意見をふまえ、蝦夷地・松前に近づく外国船を打ち払うよう命じた。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
a 誤。史料では「主人は富にも禄にも官位にも不足なし」とあるだけで、金もうけや地位にしか関心がないとまでは述べていない。 b 正。史料では「ながき代(=注3より後世)に人のためになる事をしおきたく願うなり」とあり正しい。 c 正。最上徳内は探検家であり、1785年から蝦夷地など北方の調査に加わった。史料上の記載では回答が困難な問題。 d 誤。史料上の記載もなく、田沼は外国船の打ち払いも行っていない。
24問4
第6問改
19世紀前半の対外関係の事件・事項について述べた文として誤っているものを選べ。
①宣教師シドッチが、蝦夷地に潜入して捕らえられた。
②商人高田屋嘉兵衛が、ロシアによって抑留された。
③オランダ商館医シーボルトが、鳴滝塾を聞いた。
④イギリス船フェ一トン号が、長崎に侵入した。

①〇 : 宣教師シドッチは蝦夷ではなく鹿児島(屋久島)へ上陸して捕まった。その後、江戸に送られ、新井白石の尋問を受けた。白石の「采覧異言」「西洋紀聞」はこの尋問をもとに著されたもの。
②× : 高田屋嘉兵衛は択捉島開拓に参加。その後にゴロウニン幽囚の報復としてロシアのに捕らえられた。なお、ゴロウニンはロシア語研究の進展に重要な役割を果たした。
③× : 1824年にシーボルトが鳴滝塾を長崎に開いた。
④× : 1808年にフェートン号事件が起き、異国船打払令のきっかけになったとされる。
25問5
第1問改
空欄【ア】、【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。 明治新政府は、戊辰戦争のさなか、各地で旧幕府領を接収する一方、諸大名にも自らに従うよう求めた。直轄地には府と県をおき、大名領を藩として、当初は、従来どおり大名の所領支配を容認した。1871年には、薩摩・長州・【ア】の3藩の軍事力を背景に廃藩置県を断行し、各府県には府知事や県令を中央から派遣い支配にあたらせた。  府県の下の行政区画については、政府は大区小区制を導入したが、全国で統一的に施行されたわけではなかった。1878年には、これを廃止し、都市部を区、その他を郡とし、その下に町村をおく【イ】を施行した。そして、郡・区に郡長・区長、町村に戸長がおかれた。
①ア 越前 イ 郡区町村編制法
②ア 越前 イ 地方自治法
③ア 土佐 イ 郡区町村編制法
④ア 土佐 イ 地方自治法

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
ア 「土佐」が正解。廃藩置県は薩摩藩(鹿児島県)・長州藩(山口県)・土佐藩(高知県)の軍事力を背景に行なわれた。 イ 「郡区町村編制法」が正解。地方自治法は1947年に日本国憲法と同時に施行された。
26問5
第2問改
戊辰戦争の時期の新政府がとった施策について述べた文として正しいものを選べ。
①五箇条の誓文を公布し、四民平等を定めた。
②五榜の掲示を出し、キリスト教を許可した。
③政体書を制定し、中央政府の組織を整えた。
④徴兵令を出し、集めた兵によって旧幕府軍と戦った。

①× : 五箇条の御誓文は、1868年に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である。 四民平等の規定はない。
②× : 五榜の掲示は、1868年に明治政府が五ヵ条の誓文の翌日に公布した制札。キリスト教を禁止した。
③〇 : 政体書とは、明治新政府が五箇条の御誓文に基づいて,1868に発布した政体組織法のこと。
④× : 徴兵令は戊辰戦争後の1873年にだされた

戊辰戦争は1868年1月から1869年5月まで。 五榜の掲示 ・五倫の道徳を遵守、殺人・放火・強盗の禁止 ・徒党・強訴・逃散の禁止 ・キリスト教・邪宗門の禁止 ・外国との交際は万国公法にしたがうとし,外国人への暴行を禁止 ・士民の本国地からの離脱を禁止
27問5
第3問改
お雇い外国人に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X ロエスレルは、大日本帝国憲法の起草にあたり助言した。 Y フェノロサは、日本の伝統美術の復興につとめた。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正。ロエスレルは、大日本帝国憲法の草案作成に際して伊藤博文や井上毅らにプロシア型立憲君主制の原理を導入するよう進言した。 Y 正。フェノロサは、日本古美術の保存、研究を説いて伝統的な日本画の復興を力説した。
28問5
第4問改
次の文Ⅰ-Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 I 太政官制が廃され、内閣制度が定められた。 Ⅱ 天皇の最高諮問機関として枢密院が設置された。 Ⅲ 欽定憲法として大日本帝国憲法が発布された。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥× :  
I 「太政官制が廃され、内閣制度が定められた。」のは1885年である。 Ⅱ 「天皇の最高諮問機関として枢密院が設置された。」のは1888年である。 Ⅲ 「欽定憲法として大日本帝国憲法が発布された。」のは1889年である。
29問6
第1問改
国際連盟や多国間の条約に関して述べた文として正しいものを選べ。
①日本はアメリカ、イギリス、ロシアとともに国際連盟の常任理事国となった。
②アメリカの呼びかけに応じ、加藤友三郎内閣はワシントン会議への参加を決めた。
③四か国条約では、中国の主権尊重や各国の経済上の機会均等などが取り決められた。
④不戦条約(パリ不戦条約)では、国家の政策の手段としての戦争を放棄することが宣言された。

①× : アメリカは国際連盟の常任理事国にはなっていない。
②× : ワシントン会議への参加が決まった際の内閣は原敬である。
③× : 四か国条約は、日本、アメリカ、イギリス、フランスで太平洋の取り決めをした条約である。中国問題については九か国条約で取り決めをしている。
④〇 : 不戦条約は第一次世界大戦後の1928年に締結された多国間条約である。
30問6
第2問改
関東大震災後の都市文化に関する図甲・乙に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X 甲の著者は、プロレタリア文学運動の代表的な作家の一人である。 Y 乙は、新劇の劇団による公演のポスターである。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 誤。浅草紅団の作者は図中にも記載されている川端康成であるが、プロレタリア文学の作家ではない。 Y 正。図中にも記載されているが築地小劇場は、新劇の劇団である。
31問6
第3問改
満州事変前後の出来事に関して述べた次の文I-Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 I 犬養毅首相が海軍将校らに殺害された。 Ⅱ 日中両軍の間で塘泊停戦協定が結ぼれた。 Ⅲ 金輸出を解禁し、金本位制に復帰した。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤〇 :  ⑥× :  
I 1932年に、犬養毅首相は五・一五事件で海軍将校らに殺害された。 Ⅱ 1933年に、斎藤実内閣のときに日中両軍の間で塘泊停戦協定が結ぼれた。 Ⅲ 1930年に、金輸出を解禁し、金本位制に復帰した。
32問6
第4問改
日本の朝鮮支配に関して述べた文として誤っているものを選べ。
①初代朝鮮総督には寺内正毅が就任した。
②朝鮮総督府は防穀令を出して、日本内地への米穀移出を禁じた。
③三・ー独立運動を鎮圧したのち、朝鮮総督府は憲兵警察制度を廃止した。
④日中戦争期には、神社参拝や日本語の使用が強制された。

①× : 1910年に寺内正毅が韓国統監となる。
②〇 : 防穀令が出された1899年には朝鮮総督府はなかった。
③× : 三・ー独立運動が起きたのは1919年。
④× : 日中戦争が起きたことで、皇民化政策(神社参拝や日本語の使用 が強化された。
33問6
第5問改
1930年代のマス・メディアに関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを選べ。 X 日本でもトーキー映画が制作・上映されるようになった。 Y ラジオから流れる美空ひばりの歌話曲が人気を博した。
①X 正 Y 正
②X 正 Y 誤
③X 誤 Y 正
④X 誤 Y 誤

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
X 正。トーキーとは音声のついた映画であり、日本においては1930年代に無声映画から発展した。 Y 誤。美空ひばりは1937年生まれでデビューは戦後である。
34問6
第6問改
下線部fに関して述べた次の文a-dについて、正しいものの組合せを選べ。 日中戦争が始まると、東京はオリンピックを辞退すべきであるとの声が国内外からあがり、第1次近衛文麿内閣は東京大会の中止を決定した。内閣はその理由をf:今や支那事変の推移は、長期戦の備えを一層堅くするがために物心両面にわたり、主すます国家の総力をあげて、事変の目的達成に一路逼進するを要する情勢にある([東京朝日新聞』1938年7月16日)ためだと説明した。 a 日中戦争は「大東亜共栄圏の建設」を目的として開始された。 b 近衛首相による「国民政府を対手とせず」との声明は、同政府との交渉による和平の道を閉ざした。 c 「挙国一致」をスローガンに、国民の戦意高揚と戦争協力を促す運動が行われていた。 d 日中戦争勃発後、ただちにアメリカは石油の対日輸出を禁じた。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
a 大東亜共栄圏は日中戦争ではなく、太平洋戦争のときのスローガンである。 b 1938年の第一次近衛文麿内閣のときに出された第一次近衛声明である。 c 「挙国一致」のスローガンのもとに国家総動員法などが成立。 d 日中戦争は1937年にはじまり、その後の1941にアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトはが石油禁輸強化を発令した。直ちに禁止したのではない。
35問6
第7問改
占領下に行われた農地改革に関する次の法律の条文に関して述べた下の文a-dについて、正しいものの組合せを選べ。 第一条 この法律は、耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に享受させるため【ア】を急速且つ広汎に創設し、以て農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的とする。 a 空欄【ア】に入る語句は「自作農」である。 b 空欄【ア】に入る語句は「兼業農家」である。 c この改革により、地主の土地所有面積が制限された。 d この改革の結果、寄生地主制が温存された。
①a・c
②a・d
③b・c
④b・d

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
a 正。空欄【ア】は自作農が正解。 c 正。農地改革によって地主の土地所有面積が制限された。 d 誤。農地改革によって寄生地主制が解体された。 寄生地主制とは、寄生地主が小作人に農地を貸し、その代わりに小作人が米などの収穫した農作物の一部を地代として支払う制度
36問6
第8問改
次の文X・Yと、それに該当する上の地図上の位置a-dの組合せとして正しいものを選べ。 X 石油化学コンビナートによる大気汚染を原因とする公害病が発生した。 Y 革新勢力の支持を受けて当選した美濃部亮吉知事が、公害規制や福祉政策に取り組んだ。
①X - a 、Y - c
②X - a 、Y - d
③X - b 、Y - c
④X - b 、Y - d

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 大気汚染が原因で起こった公害の四日市ぜんそくが起こった地域であるaの三重県四日市市が正解。bは富山県であり公害のイタイイタイ病だが、原因は大気汚染ではなく水質汚濁だった。 Y 美濃部亮吉は東京都知事となりcの東京都が正解。

大学受験チャンネルとは | 問合せ | 免責事項

PCモバイル