2018年日本史Bの個別情報

センター試験の日本史B(2018年)について1問ごとに問題文と解説の確認ができます。問題番号に「改」が含まれる問題はオリジナルからスマホ学習用に編集されています。

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問題文 / 解説
1第1問
問1改
「国宝の鉄剣が出土した埼玉古墳群」に関連して、次の史料は埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣銘の一部である。この資料に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとした正しいものを選べ。 史料 (前略)其の児、名は乎獲居の臣。世々(注1)、杖刀人の首と為り(注2)、奉事し(注3)来り今に至る。獲加多支鹵の大王の寺(注4)、斯鬼の宮に在る時、吾(注5)、天下を左治し(注6)、此の百練の利刀(注7)を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。 (「稲荷山古墳出土鉄剣銘(裏面:部分)」) (注1)世々:代々の大王の治世。また(前略)とした部分には、「乎獲居の臣」に至る代々の先祖の名が記されている。 (注2)杖刀人の首と為り:「杖刀人」という大王の親衛隊の中心をつとめ。 (注3)奉事し:大王に奉仕し。 (注4)寺:役所(朝廷)。 (注5)吾:「乎獲居の臣」のこと。 (注6)左治し:統治を助け。 (注7)百練の利刀:何回も鍛えたよく切れる刀剣。 X 史料には、「獲加多支鹵の大王」の役所(朝廷)が「斯鬼の宮」にある時、「乎獲居の臣」は、大王が天下を治めることを助けたことが記されている。 Y 史料にある「獲加多支鹵の大王」は、熊本県の江田船山古墳から出土した鉄刀銘にある人物と同一とみなされる。
①X 正、Y 正
②X 正、Y 誤
③X 誤、Y 正
④X 誤、Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正。注4~6の文面を解釈すると正しいことがわかる。 Y 正。多くの参考書などで稲荷山古墳と江田船山古墳から出土した鉄刀が同じことを指すことが説明されている。
2第1問
問2改
中世から近世に代わる時期は、社会体制や「土地制度などに大きな変化があった」ということに関して、土地制度にかかわらう次の図・写真Ⅰ~Ⅳについて述べた文として正しいものを選べ。
①Ⅰでは、条坊制にもとづく土地区間のための線が引かれている。
②Ⅱでは、荘園領主同士が和解し、幕府の関与のもと下地中分が成立した。
③Ⅲでは、奉公が役人や村役人らを監督し、検地をおこなっている。
④Ⅳでは、土地所有者・土地面積・収穫高などがそれぞれ記されている。

①× : 条坊制ではなく条里制である。条里制は耕地を6町 (約 654m) 間隔で縦,横に区切った。条坊制とは唐の長安にならった古代の都城の市街区画。
②× : 荘園領主同士ではなく荘園領主と地頭間で合意を得た図である。
③〇 : 図は奉公が役人や村役人を監督している様子が描かれている。
④× : Ⅳの地券には収穫高は書かれていない。代わりに地価が記載されている。
3第1問
問3改
次の文a~bについて、正しいものの組み合わせを選べ。 a 平安時代には、束帯や衣冠が宮廷女性の正装となった。 b 戦国・安土桃山時代には、女性の普段着として小袖が一般化した。 c 江戸時代には、生地に華やかな模様を表す友禅染が流行した。 d 明治時代には、モポとよばれる男性が繁華街を闊歩した。
①a・b
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
a 誤。束帯や衣冠は女性ではなく男性の衣装。女性は十二単(じゅうにひとえ)である。 b 正。小袖は一般的な服である。 c 正。友禅染は、日本の代表的染色工芸の一つ。元禄期の町絵師友禅が創始したとされる。 d 誤。モボは明治後の大正から出てきた。モボ、モガとは、それぞれ『モダン・ボーイ』、『モダン・ガール』を略していった語。
4第1問
問4改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。  2014年、世界文化遺産に登録された富岡製糸場が一躍有名な観光地となったことは記憶に新しいです。明治政府は、自立した近代国家をつくるために、西洋の技術を導入し、殖産興業を推進して【ア】を図りました。富岡製糸場は、輸出品である生糸の品質向上のために設置された官営模範工場だったんですね。  明治維新を経て近代国家となった日本が、軍事的にアジア諸地域へ侵攻し、他国を植民地にしたり領有したりしたことも忘れてはいけない。それに、世界遺産は観光資源として魅力的だけど、本来は遺産の保存が目的だしね。ところが、世界遺産に登録されたことで観光客が急増したため、深刻な交通渋滞やゴミ問題が発生したり、史跡や自然の保存に支障が出ている場合もあるんだ。たとえば、院政期には、白河上皇も行った【イ】がさかんだったけど、その表詣道の周辺では近年、石仏の破壊や盗難も発生しているらしいよ。
①ア 富国強兵 、イ 熊野詣
②ア 富国強兵 、イ 伊勢詣(伊勢参り)
③ア 民力休養 、イ 熊野詣
④ア 民力休養 、イ 伊勢詣(伊勢参り)

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
ア富国強兵、イ熊野詣が正しい。 富国強兵とは、明治政府の中心的課題を表す言葉。 民力休養とは、初期の帝国議会において,国権の拡張を図る吏党に対して民党が主張したもの。地租を軽減せよというもの。 熊野詣とは、紀伊国(和歌山県)の本宮,新宮,那智の熊野三山に参詣すること。白河上皇も行ったとされる。 伊勢詣とは、三重県伊勢市にある伊勢神宮に参詣すること。
5第1問
問5改
近代以前の商品の生産や流通に関して述べた文として誤っているものを選べ。
①平安時代には、輸入品が唐物として珍重されるようになった。
②鎌倉時代には、問(問丸)が商品の輸送にかかわった。
③室町時代には、地方で見世棚が普及し、市場の市日が減少した。
④江戸時代には、肥前で磁器がさかんに生産され、海外へ輸出された。

①× : 唐物とは渡来した物品の総称である。平安時代には「唐物の使」という役職があり、室町幕府には唐物奉行がおかれた。
②× : 問丸とは、鎌倉から戦国時代に、港町や主要都市で年貢運送管理や中継ぎ取引に従事した業者。
③〇 : 市場の市日は現象ではなく増加した。
④× : 伊万里焼(いまりやき)ともいわれる有田焼(ありたやき)が有名である。
6第1問
問6改
明治維新を経て近代国家となった日本が、軍事的にアジア諸地域へ侵攻し、「他国を植民地にしたり領有したりした」に関連して、次の写真X・Yと、それが設置された場所(境界線・都市)を示した次ページの地図上の位置a~dとの組み合わせとして正しいものを選べ。 X Y関東州の管轄と南満州鉄道株式会社の保護・監督にあたる機関
①X-a、 Y-c
②X-a、 Y-d
③X-b、 Y-c
④X-b、 Y-d

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
x-a、Y-dの組み合わせが正しい。 X 北緯50度の境界標石でありaの樺太の境界線を指している。1905年のポーツマス条約により南樺太がロシアから日本へ譲渡された。 Y 関東都督府の写真でありdの旅順にある。
7第2問
問1改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。 発掘調査によって、原始・古代の人々の奏でた音を推測させる資料がみつかることがある。たとえば、縄文時代の遺跡から石や土で作られた笛が発見されているが、これは狩猟の場面などで使用されたと考えられている。弥生時代の釣り鐘状の青銅器である銅鐸は、【ア】を中心に出土している。その表面には脱穀の様子を描いたものなどがあり、農耕の祭りのなかで用いられた可能性が高いとされる。古墳時代に製作された埴輪のなかには、琴や太鼓を演奏する人物をかたどったものがある。これは、当時の葬送儀礼の様子を推測させる資料であるとともに、大王や豪族に仕えた楽人の存在をうたがわせるものでもある。  文献資料の中にも歌舞や演奏の場面が多く見いだされる。【イ】がよみ習った内容を太安万侶が筆録『古事記』には、天皇の系譜や神話・伝説とともに多くの歌謡が載せられている。音楽は、特に神祭りの際に重要な役割を果たした。史実とはみなしがたいものの、『古事記』や『日本書紀』には、琴の演奏によって神託を得た神功皇后が新羅を征討したという説話が記されている。
①ア 九州北部、 イ 稗田阿礼
②ア 九州北部、 イ 淡海三船
③ア 近畿地方、 イ 稗田阿礼
④ア 近畿地方、 イ 淡海三船

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
ア 銅鐸は近畿地方で多く出土している。 イ 稗田阿礼がはいる。淡海三船は奈良時代の学者・文人であり大友皇子の曾孫にあたる人物。
8第2問
問2改
ヤマト政権の政治連合に参加した豪族について述べた文として正しいものを選べ。
①豪族は、政治連合に参加すると、前方後円墳の築造が禁止された。
②豪族は、屯倉とよばれる私有地を領有して、みずからの経済基盤とした。
③豪族は、氏を単位として、ヤマト政権の職務を分担した。
④豪族は、子弟を公奴婢にして、大王へ出仕させた。

①× : 古墳時代には多くの前方後円墳がつくられ、築造は禁止されてはいない
②× : 屯倉は大王のものである。豪族が領有したのは田荘。
③〇 : 豪族は血縁をもとにした氏を単位として職務を分担した。
④× : 大王へ出仕させた子弟は公奴婢ではなく舎人・采女である。
9第2問
問3改
ヤマト政権(倭)と朝鮮半島との関係に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 Ⅰ 新羅と結んだ筑紫国造磐井が、大規模な反乱を起こした。 Ⅱ 朝鮮半島での立場を有利にするため、倭の五王が中国へ朝貢した。 Ⅲ 朝鮮半島に渡った倭の兵が、好太王(広開土王)に率いられた高句麗の軍隊と交戦した。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥〇 :  
Ⅰ 527年。筑紫国造磐井の乱。 Ⅱ 5世紀。倭の五王が中国へ朝貢した。 Ⅲ 391年。朝鮮半島に渡った倭の兵が、好太王(広開土王)に率いられた高句麗の軍隊と交戦した。
10第2問
問4改
律令制下の政治の仕組みに関して述べた文として誤っているものを選べ
①国政は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの会議で審議された。
②官吏養成機関である大学には、郡司の子弟が多く入学した。
③官人には位階が与えられ、原則として位階に対応した官職に任じられた。
④官庁には、長官・次官・判官・主典の四等官がおかれた。

①× :  ②〇 : 官吏養成機関は大学ではなく国学である。
③× :  ④× :  
11第2問
問5改
聖武天皇の娘である孝謙天皇のときに開催された『大仏開眼供養会では、華やかに音楽が演奏された』に関して、次の史料に関して述べた下の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを選べ。 史料 盧舎那大仏の像も成りて、始めて開眼す。是(こ)の日、東大寺に行幸したまふ。天皇、親ら文武の百官を率いて、設斎大会(注1)したまふ。(中略)僧一万を請ふ。既にして雅楽寮と諸寺との種々の音楽、並びにことごとく来り集る。復(また)、王臣諸氏の五節・久米舞・楯伏(注2)・踏歌・袍袴(注3)等の歌舞有り。(中略)仏法東に帰りてより、斎会の儀、嘗(かつ)て批(かく)の如くの盛なること有らず。 (『続日本紀』) (注1)設斎大会:食物を僧に供養して行う大規模な法会。斎会も同じ。 (注2)五節・久米舞・楯伏:日本古来の歌舞の種類。 (注3)踏歌・袍袴:外来の歌舞の種類。 X 天皇が多くの官人を引き連れ、国家的事業として大仏開眼供養会を行った。 Y 大仏開眼供養会では、国内外の多彩な音楽・歌舞によって、儀式の盛大さが演出された。
①X 正、Y 正
②X 正、Y 誤
③X 誤、Y 正
④X 誤、Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正。「天皇、親ら文武の百官を率いて、設斎大会したまふ。」より天皇が多くの官人を引き連れ、国家的事業として大仏開眼供養会を行ったことがわかる。 Y 正。「王臣諸氏の五節・久米舞・楯伏・踏歌・袍袴等の歌舞有り。」より、 大仏開眼供養会では、国内外の多彩な音楽・歌舞によって、儀式の盛大さが演出されたことがわかる。
12第2問
問6改
平安時代の地方支配に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組み合わせとして正しいものを選べ。 X 徴税単位にわけられた田地の納税を請け負った。 Y 一国の実質的な支配権を与えられ、近親者を国守に任命するなどして、その国からの収益を取得した。 A 検田使  、b 負名  、c 預所  、d 知行国主 
①X-a、 Y-c
②X-a、 Y-d
③X-b、 Y-c
④X-b、 Y-d

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
a 検田使とは、令制において,検田のため諸国に派遣された使者。 b 負名とは、田地を農作し納税する者であり、説明Xである。 。 c 預所とは、平安末期に領主に代わって下司・公文などの荘官を指揮し、年貢徴集や荘地の管理などにあたった職。 d 知行国主とは、有力貴族・寺社・武家が特定の国の知行権(国務権・吏務ともいう)を獲得し収益を得た制度であり、説明Yである。
13第3問
問1改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。 A 中世の日本列島で起きた数々の地震は、当時の人々によって、天変地異として恐れられるだけでなく、しばしば政治の動きと関連づけられてきた。  1185年、壇の浦で平氏が滅びた直後に京都を襲った大地震は、その原因についてさまざまな憶測が飛び交う中、平清盛が龍になって起こしたものと噂されたという。また、1293年に大地震にみまわれた鎌倉では、余震の続く中で得宗家の北条貞時が内管領の【ア】を殺害している。朝廷に対する鎌倉幕府の影響力が高まるなか、この鎌倉での事態は朝廷にも深刻に受けとめられ、関東の地震を公式の理由とする改元がはじめて行われた。  このように、地震と武士との政争とは相前後して起こることがあり、こうした事態がたびたびあったため、地震に対する貴族たちの意識も変化をみせるようになる。観応の擾乱では、【イ】と高師直の軍事衝突が地震と重なったこともあり、地震の発生を武士の引き起こす政争の前兆と心配する貴族も現れた。
①ア 三浦泰村 、イ 足利尊氏
②ア 三浦泰村 、イ 足利直義
③ア 平頼綱 、イ 足利尊氏
④ア 平頼綱 、イ 足利直義

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  
ア 霜月騒動の記載であり内菅領の「平頼綱」が正しい。 イ 観応の擾乱の記載であり、「足利直義」が正しい。
14第3問
問2改
中世の京都とその周辺について述べた文として正しいものを選べ。
①院政期には、仏教を厚く信仰する天皇らにより、法勝寺をはじめとする六勝寺が造営された。
②鎌倉時代には、月行事を代表とする町組が形成された。
③室町時代には、京と鎌倉の往来がさかんとなり、『十六夜日記』などの紀行文が書かれた。
④戦国時代には、酒屋に対する幕府の課税が始まった。

①〇 : 平安時代末期に京都市東山区岡崎に朝廷の御願寺として建てられた六つの寺。
②× : 月行事は室町時代からである。
③× : 「十六夜日記」が成立したのは鎌倉時代である。
④× : 酒屋に対する幕府の課税は室町時代である。
15第3問
問3改
朝廷と鎌倉幕府との関係に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 Ⅰ 幕府は朝廷の監視などを目的に六波羅探題を設置した。 Ⅱ 幕府は皇位の継承について、両統迭立の方針を提案した。 Ⅲ 幕府からの求めにより、皇族がはじめて将軍となった。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅰ 六波羅探題が置かれたのは13世紀のはじめ。 Ⅱ 14世紀のはじめ。皇位の継承が、後嵯峨上皇の皇子の後深草天皇と亀山天皇の子孫に分かれたことが両統迭立の原因になっている。 Ⅲ 皇族がはじめて将軍となったのは13世紀の半ば。
16第3問
問4改
中世の農耕が描かれた次の図に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組み合わせを選べ。  (『大山寺縁起絵巻』) a 牛に耕具を引かせた農作業の様子が描かれている。 b 牛と竜骨車を用いた灌漑の様子が描かれている。 c 苗を植える作業のそばで、踊念仏が行われている。 d 苗を植える作業のそばで、田楽が行われている。
①a・b
②a・d
③b・c
④b・d

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
a 正。牛に耕具を引かせているのがわかる。 b 誤。竜骨車とは、農業用水を低地の用水路から汲み上げ、高地の水田に灌漑せしめる木製の揚水機であるが、絵に記載は見られない。 c 誤。多数の人が念仏を唱えながら踊っている踊念仏は見られない。 d 正。太鼓や笛をふいて田楽している様子がわかる。
17第3問
問5改
中世の都市に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを選べ。 X 瀬戸内では、鎌倉時代以降、兵庫などの港町は衰退していった。 Y 河内国の富田林などでは、浄土真宗の寺院や道場を中心に寺内町が形成された。・
①X 正、Y 正
②X 正、Y 誤
③X 誤、Y 正
④X 誤、Y 誤

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 誤。兵庫は今も港町として繁栄している。 Y 正。富田林寺内町として現在地もある。
18第3問
問6改
桃山文化について述べた文として誤っているものを選べ。
①三味線を伴奏に人形を操る人形浄瑠璃が始まった。
②城郭内部の障壁画などに濃絵の手法が用いられた。
③小歌に節づけをした降達節が庶民の人気を博した。
④簡素さよりも豪華さをたっとぶ侘茶が大成された。

①× : 人形浄瑠璃は今日では文楽と呼ばれ、安土桃山時代に成立した。
②× : 濃絵(だみえ)は、岩絵具や金銀泥を厚く塗り、余白に金箔をはった装飾的な絵であり、安土桃山時代の金碧画がその典型。
③× : 隆達節は日本音楽の一種であり室町後期から江戸初期に流行した歌。
④〇 : 侘茶は豪華さではなく簡素さをたっとんだ。侘茶は「草庵の茶」ともいう茶道の一形式。
19第4問
問1改
空欄【ア】【イ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。 A 豊臣秀吉による二度の朝鮮侵略に際して多くの朝鮮人捕虜が日本に連行されたが、その結果として、捕虜により伝えられた学問や技術が日本に影響を与えたという側面もある。たとえば、藤堂高虎の軍に捕らえられ、伏見に連行された姜沆(カンハン)は、京都五山の僧であった【ア】に朱子学を教えている。  徳川家康は近隣諸国との安定した外交関係構築をめざし、朝鮮に対しては、悪化した関係を【イ】を通じて修復しようとした。その結果1607年に挑戦の使節が来日し、両国間の講話が成立した。その後幕府は海外との交流を制限していくが、朝鮮とは、将軍の代替わりの際に使節の派遣を受けるなど、国家間の交流が続けられた。  日朝関係の修復過程では、朝鮮人捕虜の帰国が大きな課題となった。姜沆は1600年に帰国したが、講話成立後も多くの朝鮮人が日本に残されたままだった。なかには講話成立から30年以上を経てようやく帰国できた者などもいたが、終生日本で過ごした者も多かった。
①ア 熊沢蕃山 、イ 対馬藩
②ア 熊沢蕃山 、イ 薩摩藩
③ア 藤原惺窩 、イ 対馬藩
④ア 藤原惺窩 、イ 薩摩藩

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
ア 朱子学といえば藤原惺窩である。熊沢蕃山は陽明学である。 イ 朝鮮の修復を試みたのは対馬藩であり、とうじ薩摩藩は琉球側の窓口となっていた。その他として、オランダ・清は長崎藩、蝦夷地は松前藩がそれぞれ窓口となっていた。
20第4問
問2改
近世日本が海外から取り入れた技術・文化に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 Ⅰ 活字印刷術を用いた天草版(キリシタン版)が出版された。 Ⅱ 亜欧堂田善が、西洋画の技法を用いた作品を描いた。 Ⅲ 幕府は高島秋帆に、西洋砲術の演習を行わせた。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅰ 天草版のしゅっぱいいは16世紀である。 Ⅱ 亜欧堂田善は18~19世紀の人。 Ⅲ 高島秋帆は19世紀の後半である。
21第4問
問3改
江戸時代の日朝関係について述べた文として正しいものを選べ。
①幕府は1609年の己酉約条にもとづき、日朝貿易を独占した。
②朝鮮から日本へ送られた使節は、謝恩使とよばれた。
③釜山に倭館がおかれ、日朝貿易の窓口とされた。
④徳川家綱は、朝鮮からの国書における将軍の表記を「日本国王」に改めさせた。

①× : 己酉約条は、対馬の宗氏と李氏朝鮮の間で結ばれた条約である。慶長条約ともよばれる。
②× : 朝鮮から日本へ送られた使節は通信使である。謝恩使は江戸時代に琉球が王の代替わりごとに幕府に派遣した使節。
③〇 : 倭館は、中世から近世にかけて、李氏朝鮮時代に朝鮮半島南部に設定された日本人居留地のこと。
④× : 日本国王に改めさせたのは家綱ではなく新井白石である。
22第4問
問4改
空欄【ウ】【エ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。 江戸時代には、だれもが檀那寺をもつようになった。これは、牧夫がキリシタン禁制の徹底を目的に【ウ】制度を設け、寺院に檀家・檀徒であることを証明させたためである。また家の安定的な存続が可能となった庶民層においても、位牌や墓を伝え、先祖をまつることが、この制度のもとで広がった。  一方、町や村には多くの寺院もあった。村の神社での祭祀や祭礼は農業など生業にも深く関係し、村民の結びつきを支える場となった。1665年に幕府が発布した【エ】により、公家の吉田家を通じて神職が統制され。村の神職の組織化が進んでいった。  また僧侶や神職以外にも、町や村には陰陽師や修験者などのさまざまな宗教者がおり、祈?や占いなどを行って、人々の信仰に答えた。江戸時代後期になると村々を訪れる宗教者が増加し、治安状況の悪化とあいまって、彼らが村々へ出入りすることを、領主が制限することもあった。
①ウ 寺請 、エ 諸社禰宜神主法度
②ウ 寺請 、エ 禁中並公家諸法度
③ウ 本末 、エ 諸社禰宜神主法度
④ウ 本末 、エ 禁中並公家諸法度

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
ウ 「寺請」が正解。本末とは、本山に末寺を統制させる制度。 エ 「諸社禰宜神主法度」が正解。禁中並公家諸法度とは1615年に江戸幕府によって制定された法令。
23第4問
問5改
次の史料は山城国久世郡寺田村の記録の一部である。この史料に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを選べ。 史料 同年(注1)九月十九日の晩、念仏寺へ庄屋・年寄(注2)寄り合い、山盗のせ穿儀(注3)これ有り候、盗み申すもの共呼び出し、(中略)しめて(注4)七人は、立木を切り申すゆえ、二里(注5)四方追放に申しつけ候。  (『上田氏旧記』) (注1)同年:1700(元禄13)年。 (注2)庄屋・年寄:村役人。 (注3)穿儀:取り調べ。 (注4)しめて:合計。 (注5)二里:一里はおそよ4km。 X 村役人の会合において、盗人の取り調べがなされている。 Y 立木の盗人に対し、追放刑という処分が下されている。
①X 正、Y 正
②X 正、Y 誤
③X 誤、Y 正
④X 誤、Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正。「庄屋・年寄寄り合い、山盗のせ穿儀これ有り候」より。 Y 正。「盗み申すもの共呼び出し、しめて七人は、立木を切り申すゆえ、二里四方追放に申しつけ候。」より。
24第4問
問6改
江戸時代後期の村社会の変容や、それに対する領主の対応について述べた次の文として誤っているものを選べ。
①幕府は関東農村の治安悪化に対応するため、関東取締出役を設置した。
②村役人が百姓の要求を領主に直訴する村方騒動が頻発した。
③大阪周辺の綿織物業で、マニュファクチャが展開した。
④荒廃した村落を立て直すため、二宮尊徳が報徳仕法を実施した。

①× : 「八州廻り」ともいわれる江戸幕府の職名。
②〇 : 村方騒動は、村役人が直訴したのではなく、村役人側が糾弾された。
③× :  ④× : 報徳仕法とは、節約・貯蓄を中心とする農民の生活指導などを通じて農業経営のたてなおしと農村復興をはかる方法。
25問5
第1問
【ア】【イ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。  幕末期、幕府は西洋諸国に対抗するため軍制改革を行った。1862年の文久の改革においては、【ア】や京都守護職を新たにおくなど、幕府職制を変更するとともに、西洋式軍制を採用した。一方、攘夷論も強まる中で、戦争時における傷病兵の外科治療という課題も浮上し、幕府の西洋医学の教育機関である医学所は外科研究に力を入れた。またこのころ幕府は庶民からも兵を集めていたこともあって、庶民に患っている者が多かった性感染症の研究も行っていた。  明治維新期、戊辰戦争の傷病兵治療で西洋医学の必要性がますます明らかとなり、明治政府は学術試験を課すなどして軍医の質をはかった。1871年の【イ】では諸藩の軍隊を解体した。その後徴兵令を発布したが、これに先立ち、軍医は成人男子の身長を調査し、徴兵に適した体格の標準値を策定していた。
①ア 政事総裁職 、イ 版籍奉還
②ア 政事総裁職 、イ 廃藩置県
③ア 議定 、イ 版籍奉還
④ア 議定 、イ 廃藩置県

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
ア 「政事総裁職」が正しい。 イ 「廃藩置県」が正しい。版籍奉還とは、1869年に土地 (版) と人民 (籍) に対する支配権を朝廷に返還したこと。
26問5
第2問
攘夷論に関連して述べた文として正しいものを選べ。
①老中阿部正弘は、幕府の独断で日米和親条約を締結した。
②孝明天皇の妹和宮が徳川慶喜に嫁いだことは、攘夷派を刺激した。
③大老井伊直弼は、坂下門外で水戸浪士らに暗殺された。
④幕府が攘夷実行を約束したことをうけ、長州藩は外国船を砲撃した。

①× : 日米和親条約は幕府の独断で締結したのではない。
②× : 和宮は徳川慶喜ではなく家茂に嫁いでいる。
③× : 坂下門外の変で襲われたのは安藤伸正である。井伊直弼は桜田門外で暗殺された。
④〇 :  
27問5
第3問
19世紀の西洋医学に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 Ⅰ 志賀潔が赤痢菌を発見した。 Ⅱ 蘭学や蘭方医を志す者のために、緒方洪庵が大阪で適塾を開いた。 Ⅲ 西洋医学教育の分野でも、お雇い外国人の招聘が始まった。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅱ-Ⅲ-Ⅰの順となる。 Ⅰ 志賀潔が赤痢菌を発見したのは1897年。 Ⅱ 蘭学や蘭方医を志す者のために、緒方洪庵が大阪で適塾を開いたのは1838年。 Ⅲ 西洋医学教育の分野でも、お雇い外国人の招聘が始まったのは19世紀半ばである。
28問5
第4問
徴兵令に関連して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを選べ。 X 徴兵告論にもとづき発布された徴兵令は、国民皆兵を原則とした。 Y 徴兵制度は民衆にとって負担となり、血税一揆などの抵抗を生んだ。
①X 正、Y 正
②X 正、Y 誤
③X 誤、Y 正
④X 誤、Y 誤

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
X 正。1872年布告の徴兵告論にもとづき発布された徴兵令は、国民皆兵(士族・平民の区別なく)を原則とした。 Y 正。
29問6
第1問
【ア】【イ】に入る語句の組み合わせとして正しいものを選べ。  石橋湛山が『東洋経済新報』で言論活動を始めたのは、デモクラシーが世界的に広がるなかで、日本でも民主主義的・自由主義的な学問・思想が発展した時期であった。のちに大正デモクラシーとよばれるこの風潮のなかで、【ア】は、政治の目的を民衆の利益と幸福を実現することと位置づけ、民衆の意向を無視してはならないとする民本主義を唱えた。  この時期には、新聞や、総合雑誌の『【イ】』『改造』などを舞台にデモクラシーを促進する言論が展開され、知識人を中心に結成された黎明会や、東京帝国大学学生らによる新人会などの団体も生まれた。  石橋湛山はこうした潮流に対応し、国内政治については国民主権論を唱えて議会政治の進展を説くとともに、女性の社会的地位に関しても積極的に発言した。国際政治に対しては小日本主義を唱えて日本の膨張政策を批判した。その主張の背景には、民族運動の高まりへの理解とともに、国際的な貿易拡大の動向を踏まえた経済的合理主義があった。
①ア 吉野作造 、 イ 中央公論
②ア 吉野作造 、 イ 明六雑誌
③ア 河上肇 、 イ 中央公論
④ア 河上肇 、 イ 明六雑誌

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
ア 民本主義を唱えた「吉野作造」が正解。河上肇は、マルクス経済学の第一人者で、日本の初期の共産主義運動に影響を与えた。 イ 「中央公論」が正解。明六雑誌は、明六社の機関誌として1874年(明治7)3月に創刊されたわが国最初の総合的啓蒙雑誌。
30問6
第2問
「女性の社会的地位」について述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組み合わせとして正しいものを選べ。 X 平塚らいてうや市川房枝が、女性の地位の向上や、権利の擁護などを目的として1920年に結成した。 Y 女性や子どもの就業時間制限や深夜業禁止などを規定したが、法の適用範囲が狭いなど、不十分な内容であった。 a 赤瀾会  、 b 新婦人協会 c 工場法  、 d 商法
①X-a、 Y-c
②X-a、 Y-d
③X-b、 Y-c
④X-b、 Y-d

①× :  ②× :  ③〇 :  ④× :  
X 「平塚らいてうや市川房枝が、女性の地位の向上や、権利の擁護などを目的として1920年に結成した。」のはbの新婦人協会である。 Y 「女性や子どもの就業時間制限や深夜業禁止などを規定したが、法の適用範囲が狭いなど、不十分な内容であった。」のはcの工場法である。
31問6
第3問
第一次世界大戦後の民族運動の展開に関して述べた文として正しいものを選べ。
①日本からの独立を求める運動が、朝鮮全土で展開された。
②韓国の民族運動家によって、伊藤博文が殺害された。
③毛沢東の指導のもとに、中国統一をめざす北伐が開始された。
④西安事件をきっかけに、第1次国共合作が実現した。

①〇 : 1919年に、日本からの独立を求める三・一独立運動が朝鮮全土で発生した。
②× : 伊藤博文が暗殺されたのは1909年であり第一次世界大戦まえとなる。
③× : 蒋介石の指導の下に中国統一を目指す北伐が開始された。
④× : 西安事件をきっかけとしたのは第二次国共合作である。
32問6
第4問
近現代の思想・言論への統制に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを選べ。 Ⅰ 東京帝国大学教授の河合栄治郎が、ファシズム批判を理由に求職処分となった。 Ⅱ 日本最初の社会主義政党である社会民主党が安部磯雄らによって結成されたが、直後に解散させられた。 Ⅲ 第1回男子普通選挙で無産政党から当選者が出ると、共産党員が大量検挙され、労働農民党などが解散させられた。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

①× :  ②× :  ③× :  ④〇 :  ⑤× :  ⑥× :  
Ⅰ 「東京帝国大学教授の河合栄治郎が、ファシズム批判を理由に求職処分となった。」のは1939年である。 Ⅱ 「日本最初の社会主義政党である社会民主党が安部磯雄らによって結成されたが、直後に解散させられた。」のは1901年である。 Ⅲ 「第1回男子普通選挙で無産政党から当選者が出ると、共産党員が大量検挙され、労働農民党などが解散させられた。」のは1928年に発生した三・一五事件である。
33問6
第5問
戦中・戦後の文化に関して述べた文として誤っているものを選べ。
①戦争に協力する文学者団体として、日本文学報国会が設立された。
②石川達三が、中国戦線における日本軍を題材にした小説を執筆した。
③本土空襲に備えて、文化財保護法が制定された。
④敗戦後、黒澤(黒沢)明の映画が国際的に高い評価を得た。

①× :  ②× :  ③ :  ④× :  
34問6
第6問
軍部に対する政党の影響力を防ぐ目的で定められた軍部大臣現役武官制に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを選べ。 X 大正政変をうけて成立した内閣において、軍部大臣現役武官制の現役規定が削除された。 Y 五・一五事件直後に成立した内閣において、軍部大臣現役武官制が復活した。
①X 正、Y 正
②X 正、Y 誤
③X 誤、Y 正
④X 誤、Y 誤

①× :  ②〇 :  ③× :  ④× :  
X 正。大正政変をうけて成立した内閣において、軍部大臣現役武官制の現役規定が削除された。 Y 誤。軍部大臣現役武官制が復活したのは、二・二六事件直後に成立した広田弘毅内閣である。
35問6
第7問
第1次吉田茂内閣の人物について述べた文として正しいものを選べ。
①保守合同によって結成された自由民主党の初代総裁となった。
②日本社会党を中心とする連立政権の首相となった。
③前面講話論をしりぞけ、サンフランシスコ平和条約を締結した。
④連合国軍の進駐を受け入れ、降伏文書に調印した。

①× : 合同保守によって結成されて初代総裁に選出されたのは鳩山一郎である。
②× : 日本社会党を中心とする連立政権の首相となったのは片山哲である。
③〇 : 吉田茂は1951年にサンフランシスコ平和条約を締結した。
④× : 連合国軍の進駐を受け入れて降伏文書に調印したのは東久邇宮稔彦である。
36問6
第8問
日米安全保障条約改定以降は、日米中ソの平和同盟締結を唱えるなど、東アジアの国際秩序の安定をめざす活動に力をいれている。に関連して、次の史料に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組み合わせを選べ。 史料  今や日ソ間の貿易協定は着々成果をあげつつあるが、中国との国交の打開をも速やかに実現すべきである。(中略)全人類の四分の一におm達する隣の大国が、今ちょうど日本の明治維新のような勢いで建設の途上にある。それをやがて破綻するだろうと期待したり、また向こうから頭を下げてくるまで待とうとするような態度が、はたして健康な外交であろうか。戦後十五年を経て、すでに戦後の時代は去ったようにいう人もいるが、今次大戦の中心は中国にあったのであり、その日中戦争を収束せしむることこそ戦争終結のための最大の課題ではないか。しかも相手は暴虐の限りをつくした日本に対して、仇を恩で返すことを国是とし、一切の報復主義を排して逆に手を差し伸ばして来ている。   (石橋湛山「池田外交路線へ望む」1960年) a この文章で石橋は、日本政府の外交姿勢に疑問を呈している。 b この文章で石橋は、日本政府の外交姿勢を高く評価している。 c この文章で書かれた当時、日本はすべてに中華民国と平和条約を結んでいた。 d この文章が書かれた当時、日本はすでに中華人民共和国と平和条約を結んでいた。
①a・b
②a・d
③b・c
④b・d

①〇 :  ②× :  ③× :  ④× :  
a 正。「向こうから頭を下げてくるまで待とうとするような態度が、はたして健康な外交であろうか。」という点などから。 b 誤。上記aの解説より。 c 正。この文章で書かれたのは1960年であり、日華平和条約(日本と台湾)はそれより以前の1952年である。 d 誤。日本が中華人民共和国と平和条約をむすんだのは1972年である。

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